三木 鶏郎 プロフィール

三木 鶏郎(1914.1.28〜1994.10.7)
〜作詞・作曲家〜

1914年1月28日、東京生まれ。
本名・繁田裕司(しげた ひろし)。

1940年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。
作曲を諸井三郎、ヴァイオリンを小野アンナ、ピアノと声楽を渡辺シーリーに師事。

戦後、焼け跡の歌「南の風が消えちゃった」を作り、1946年、NHKラジオ『歌の新聞』に出演。音楽に時事コントをはさむスタイルでスピーディーに番組を展開。 数日後、新聞のラジオ評に「彗星の如き天才現る」のコメントが掲載された。
同年『歌の新聞』終了。
翌1947年、『日曜娯楽版』の中で「冗談音楽」として復活。音楽のほか、脚本、構成、演出も担当。ラジオ界に旋風を巻き起こし、聴取率80%とも90%だったとも云われる伝説的数字を記録。次第に過激化する世相風刺、政治批判が社会問題化。
1952年6月『日曜娯楽版』は発展的に解消、『ユーモア劇場』と改名。
1954年6月13日最終回「さよなら冗談音楽」にて終焉するまで続いた。

「冗談音楽」で放送の冗談ヒットメロディーから誕生したヒット曲に、「僕は特急の機関士で」「毒消しゃいらんかね」「田舎のバス」他。
子供番組への童謡作品、舞台音楽、映画音楽の仕事も数多い。

番組から三木鶏郎グループ(河井坊茶、丹下キヨ子、三木のり平、小野田勇、千葉信男、他)が誕生。 また三木鶏郎楽団を結成(ジョージ川口、小野満、鈴木章治、他)。彼らとともに活動の場を舞台、映画にも広げた。
三木鶏郎のもとに参集したスタッフは、三木鶏郎文芸部および1956年以降の冗談工房の作家:キノ・トール、能見正比古、永六輔、神吉拓郎、野坂昭如、伊藤アキラ、他。作曲家:神津善行、いずみたく、桜井順、越部信義、嵐野英彦、他。また、歌手(楠トシエ、中村メイ子、他)や俳優(逗子とんぼ、なべおさみ、左とん平、他)等、逸材が集結した。
 
1951年、民間放送開局にあわせ、日本初のコマーシャルソング「僕はアマチュアカメラマン」を発表。「ミツワ石鹸」「明るいナショナル」「キリンレモン」他数多のコマーシャルソングを送り出し、コマソン全盛時代を築いた。
同時に、商品のコピー、ネーミングなど、アイデアコンサルタントも行う。

1954年公開のディズニー映画「ダンボ」('53制作)、1956年公開「わんわん物語」('55制作)では、日本語版音楽監督に。

1958年の関西テレビ開局記念番組をはじめ、テレビ番組の企画や音楽にも携わる。
1960年代のアニメ主題歌に、「鉄人28号」「トムとジェリー」「ジャングル大帝」他。

繁田裕司として歌曲の分野でも足跡を残す。

1956年、文部大臣賞奨励賞。
1961年、民放賞。
1962年、正力賞、芸術祭奨励賞。
1986年、日本レコード大賞「特別企画賞」。

1994年10月7日、逝去。

(文中敬称略)