西暦 | 年号 | 月日 | 年齢 | 出来事 | 世界・日本の出来事 |
1946 | 昭和21 | 1月 | 32歳 | 「音楽ウイークリー」の取材でNHKを訪ね、「南の風が消えちゃった」を売り込む(音楽部長:吉田信、同副部長:丸山鉄雄、係:三枝健剛)。 | 1/1天皇人間宣言。 |
1946 | 昭和21 | 1月29日 | 32歳 | 第1回「歌の新聞」(7:50p.m.〜8:00p.m.)放送。繁田裕司、朝川賞郎、秋元喜雄(河井坊茶)がコメディアン・ハーモニストの名で出演。出演料100円。 |
1/4GHQ公職追放。 |
1946 | 昭和21 | 2月10日 | 32歳 | 「歌の新聞」第3回(昼12時15分から15分間)放送よりミッキートリオと名を変えてレギュラー出演。出演者の常連が三人とは限らなくなり、繁田裕司は芸名を三木鶏郎に。「鶏郎」=「とりお」と読ませるつもりが、アナウンサーが「とりろう」と読み違え、そのまま「みきとりろう」となった。これに「グループ」をつけて「三木鶏郎グループ」と名乗る。 |
2/16新円切り替え。 |
1946 | 昭和21 | 4月 | 32歳 | 三木鶏郎楽団結成。 | 5/3東京裁判始まる。 |
1946 | 昭和21 | 6月6日 | 32歳 | 三木鶏郎グループ、日劇出演。「笑う東京」。三木のり平(鶏郎命名)登場。 | 5/22第一次吉田内閣成立。 |
1946 | 昭和21 | 8月4日 | 32歳 | 進駐軍検閲官ヒギンズ少佐の意見で「歌の新聞」中止。 | 7/1米国ビキニで原爆実験。 |
1946 | 昭和21 | 9月〜 | 32歳 | 舞台、ダンスホール、米軍キャンプで三木鶏郎楽団活躍(ジョージ川口、小野満、鈴木章治ら)。 | 7/12中国、国共全面内戦開始。 |
1946 | 昭和21 | 10月15日 | 32歳 | 飛行館劇場にて三木鶏郎ショウ、毎週出演(飛行館の舞台は1947年9月迄続く→三木鶏郎仕事参照)。第1回公演「45分の青春」。丹下キヨ子、千葉信男、小野田勇が参加。 | 7/12経済安定本部発足。 |
1946 | 昭和21 | - | 32歳 | *作詞作曲*「楽しい日曜日」「お風呂屋の歌」「春が来たのに」「夏が来たら」「アイスクリーム」他。 | 10/8教育勅語奉読廃止。 |
1946 | 昭和21 | - | 32歳 | *脚本*「女だけの島男だけの島」「カンカン帽子」他。 | 11/4ユネスコ発足。 |
1946 | 昭和21 | - | 32歳 | *SPレコード*コロムビア「楽しい日曜日」 | 流行語:カストリ/アッそう/隠匿物資/強権発動/接収/ご名答 |
1947 | 昭和22 | 4月 | 33歳 | ニホン・ミュージシャン・ユニオン結成(組合長:紙恭輔、副組合長:三木鶏郎)。 | 5/3日本国憲法施行。 |
1947 | 昭和22 | 10月5日 | 33歳 | NHK「日曜娯楽版」スタート。二週目の12日からタイトルを「冗談音楽」(三木鶏郎作・音楽・演出)としたコーナーに三木鶏郎グループ、三木鶏郎楽団出演。 | 8/15インド共和国独立。 |
1947 | 昭和22 | 10月14日 | 33歳 | 三木鶏郎楽団、池袋文化劇場に出演。(〜20日) | 9/14キャサリン台風来襲。 |
1947 | 昭和22 | 12月11日 | 33歳 | 諸井三郎門下の「新声会」で繁田裕司作曲のリード「初恋」「淡月梨花の歌」が演奏される。 | 11/20英、エリザベス女王、エジンバラ公と結婚。 |
1947 | 昭和22 | - | 33歳 | *作詞作曲*「私は貴方が釣りたいの」「東京ランデブー」「秋はセンチメンタル」「ゆらりろの歌」他。 | 12/22民法改正/戸籍法公布。 |
1947 | 昭和22 | - | 33歳 | *SPレコード*コロムビア「涙はどんな色でしょか」「楽しい日曜日」「ゆらりろの唄」 | 流行語:不逞の輩/肉体の門/そのものズバリ |
1948 | 昭和23 | 2月1日 | 34歳 | 三木鶏郎、池袋文化劇場のプロデューサーとなり三木鶏郎グループの常打ち小屋とする。旭輝子、有島一郎ら加入。 | 1/26帝銀事件。 |
1948 | 昭和23 | 3月1日 | 34歳 | 楽器焼失のため三木鶏郎楽団解散。 | 6/21米ニューヨークでLPレコード初公開。 |
1948 | 昭和23 | 11月26日 | 34歳 | 三木鶏郎グループ、浅草国際劇場に出演、ミュージカル「毒殺魔脱獄す」上演。 | 6/23昭和電工事件。 |
1948 | 昭和23 | 12月13日 | 34歳 | 大阪初下り、松竹大阪劇場にて「毒殺魔脱獄す」上演。 | 7/29ロンドンオリンピック開催。 |
1948 | 昭和23 | - | 34歳 | *作詞作曲*「ブギウギ列車」「キューバンラグ」「ココナツ・ルンバ」「ハレムの踊り子」「恋のスタイルブック」他。 | 8/13大韓民国樹立。 |
1948 | 昭和23 | - | 34歳 | *脚本*「ラジオ・ダイジェスト」「冗談年鑑1948」「毒殺魔脱獄す」 | 9/9北朝鮮人民共和国樹立。 |
1948 | 昭和23 | - | 34歳 | *小説*「トト博士の盗難」「トト博士の奇跡」*随筆*「七つの顔」「新聞志望の夢」「法律嫌い」「マイク恐怖症」 | 11/12極東軍事裁判、25人被告に有罪。 |
1948 | 昭和23 | - | 34歳 | *コラム*「冗談哲学」「冗談ファッション」「僕が首相なら」「世戦群歌集」「癪に触ること」「冗談街を歩く」「切り捨て御免」「楽屋夜話」「日曜あわて版」「談話娯楽版」「Mr.ジョー&Missダン」 | 12/7昭和電工事件で芦田前首相逮捕。 |
1948 | 昭和23 | - | 34歳 | *SPレコード*ビクター「夏が来たら」「南の風が消えちゃった」「楽しい日曜日」/コロムビア「ブギウギ列車」/テイチク「キュ−バン・ラグ」 | 流行語:斜陽族/鉄のカーテン/冷たい戦争/おいらくの恋/てんやわんや |
1949 | 昭和24 | 1月 | 35歳 | NHK「日曜娯楽版」「冗談音楽」大ヒット続行。聴取率51%に。 | 1/21蒋介石引退、/22共産政府北京に。 |
1949 | 昭和24 | 2月 | 35歳 | 市ヶ谷九段に鶏小屋第2号完成。 | 1/26法隆寺金堂火災。 |
1949 | 昭和24 | 3月 | 35歳 | キノトールを迎え「三木鶏郎文芸部」発足。 | 2/16第三次吉田内閣成立。 |
1949 | 昭和24 | 3月18日 | 35歳 | 浅草国際劇場で「冗談カルメン」を上演、作・演出・音楽並びに指揮。続いて、大阪梅田劇場にて上演する。 | 3/7ドッジライン声明。 |
1949 | 昭和24 | 6月20日 | 35歳 | 日劇出演「冗談大騒動=カンカン帽子」。以後、三木鶏郎グループ、地方巡演へ。 | 8/16「フジヤマのトビウオ」古橋広之進世界新記録。 |
1949 | 昭和24 | - | 35歳 | *作詞作曲*「バナナリズム」「泣きたいような」「センチメンタルタイフーン」「ビル・ブルース」「泣いたわネ」「武器ウギ」 | 11/3ノーベル物理学賞、湯川秀樹博士に。 |
1949 | 昭和24 | - | 35歳 | *放送脚本*「グッドバイ1949年」*原稿*「岩波文化と講談社文化」「娯楽は惜しみ無く与う?」「世相漫才十夜一夜」「冗談街を歩く」「風中の雄鶏」「ちくり・ちょっと」「冗談歳時記」*映画出演*「結婚狂時代」「おどろき一家」 |
流行語:つるし上げ/アジャパー/ワンマン/竹のカーテン |
1950 | 昭和25 | - | 36歳 | *映画出演*「なやまし五人男」「狸銀座を歩く」「オオ細君三日天下」 | 1/1マッカーサー日本自衛権声明。 |
1950 | 昭和25 | 春 | 36歳 | 三木鶏郎グループから三木のり平、三木鶏郎文芸部からキノトールが独立。 | 4/15公職選挙法公布。 |
1950 | 昭和25 | 夏 | 36歳 | 鶏小屋第3号を新築。 | 6/25朝鮮戦争勃発。 |
1950 | 昭和25 | 7月 | 36歳 | 東京通信工業(後のソニー)国産初のテープレコーダー発売で第一号機を購入。 | 7/2金閣寺放火で全焼。 |
1950 | 昭和25 | - | 36歳 | *作詞作曲*「僕は特急の機関士で」「つい春風に誘われて」「フラフラ節」「オンド・ボン・ダンス」他 | 7/8「チャタレイ夫人の恋人」発禁。 |
1950 | 昭和25 | - | 36歳 | *SPレコード*コロムビア、ビクター「僕は特急の機関士で」/テイチク「なやましブギ」「想い出のルンバ」/ポリドール「つい春風にさそわれて」 | 11/10NHKテレビ定期実験放送開始。 |
1950 | 昭和25 | - | 36歳 | *脚本*「シラノ一九五〇を語る」*随筆*「酔いどれ天国」「十五日間の恋人・初めてスターとなるの記」「私の建てた家」「連載・冗談カーニバル」 | 流行語:特需/金へん/糸へん/とんでもハップン/38度線/レッドパージ |